30歳の時にパソコンを購入したことをきかっけに映画製作を開始。1999年豊田市役所映画倶楽部結成。2005年団体名称を豊田活動写真会に改称。2007年4月より豊田活動写真会はM.I.F.に統合。M.I.F.代表。監督作『公務員探偵ホーリー』シリーズでは自主映画には珍しいミュージカルコメディに挑戦し数々の映画祭で入賞。最新監督作『箱』では一転してシリアスな恋愛ドラマに挑み新境地を開く。
映画製作以外では、2002年より地元製作自主映画を集めて上映する「小坂本町一丁目映画祭」を主催。今までに6回開催し毎回200〜400人を動員。2001年よりコミュニティFMラジオラブィート(FMとよた)にて映画情報番組のパーソナリティを務め、2005年より愛知県の豊田三好長久手地区をネットするCATVひまわりネットワークにて、自主映画放送をメインとした映像バラエティ番組「小坂本町一丁目テレビ」を製作する等自主映画の広報活動も精力的に行っている。
また、行政機関からの依頼により、「悪徳商法防止研修ビデオ」「男女共同参画研修ビデオ」等の製作・監督も手掛ける。
別名:ホーリー 性別:男 趣味:麻雀、役者 特技:独身
昭和37年、豊田市の堀家に生まれる。
その後、青木小→猿投台中→衣台高校→プータローを経て豊田市役所に勤務。
歌って踊れる公務員を目指すもすぐに挫折、普通の公務員に。
小学生の頃、神山征二郎監督の「鯉のいる村」に涙し、
中学生?の頃、大林宣彦監督の「HOUSE/ハウス」で映画に本格的にのめり込む。
その後、映画少年→フラレ少年→映画青年→フラレ青年→映画中年となり、
今では年間150本以上の映画を見るも、上手い映画論評も出来ず、無駄に映画を見る日々を過ごしている。
清水監督の勘違いで誘われ、豊田市役所映画倶楽部(現:豊田活動写真会)の立ち上げメンバーとなり、現在に至る。
今回の「箱」では、カメラ・音声・照明・パソコンのすべてに精通していないので、買い出し・運転手として活躍? 現場ではすることがないので、ウロウロしていて時々ジャマになっている。
ホーリーからの一言:“みなさん「箱」見てください、そして、誰か私を役者として使ってください、でも、演技は出来ないよ”
幼稚園時代は日本舞踊、中学校では新体操、暗い高校生活を送り、社会人になってはジャ
ズダンス、ヒップホップダンスをたしなむ。『公務員探偵ホーリー』シリーズ、『箱』等
出演。
豊田活動写真会立ち上げメンバー。
現在はシリア・アラブ共和国にて青年海外協力隊(視聴覚教育)隊員として国連開発計画の貧困対策プロジェクトに参加しながら石油王との出会いを模索中。「ビデオ編集技術あり」と偽ったため、シリアで四苦八苦しながらビデオの制作にあたっている。(2008年現在)
大学時代に8mmに多少触れる。
その後社会人になり、友人の河村まことから映画を作ろうと言われ、1998年くらいに映像製作チーム「team ED WOOD」を結成。石川登美二、河村まこと、佐藤厚宏のメンバーで構成されている。現在も水面下でほそぼそと活動中。
高校時代より映画制作を開始。大学では美術科を専攻。大学卒業後も映画制作を続けるが、映画について考え直すため、映画制作を中断し、映画評論の執筆活動に専念する。その間、DiscStation(映像ソフト販売会社)、PHP出版にて映画評論を発表。
ホームーページは、独自の視点で書かれた評論とともに、映画評論の掲示板も好評で、多数の雑誌やラジオ番組などで取り上げられる。
評論活動の経験を生かし、10年ぶりに映画制作を再開。その復帰後、第1作目の「Imomushi」は、世界十大映画祭の一つであるシネクエスト映画祭(アメリカ)で観客賞を受賞。ヴァラエティ誌でも絶賛をされ、世界最大の映画データベースサイト「The Internet Movie Database (IMDb)」に登録をされている。
現在、地元で中央に負けない映画制作をめざして、その在り方を模索中。
大学時代より映画の魅力に気がつき始めるが、映画とは全く関係ないことばかりに意欲を注ぐ日々を過ごしていた。しかし小坂本町一丁目映画祭vol.04を観覧し、映画製作に参加したいという意識が高まる。そして初めて参加した『小坂一丁目町内会』の交流会では映画の話で盛り上がるつもりだったが、気がつけば映画そっちのけの馬鹿盛り上がりで酒を飲んでいたところ、清水氏から映画製作に加わらないかと声をかけられる。
『箱』(2006)より映画製作に参加し、M.I.F.第二回作品『カササギの惑星』で初監督をし脚本や絵コンテ、現場での動きなど何もかも初体験で悩む日々を送る。他にはM.I.F.や小坂本町一丁目映画祭のサイト運営管理を行っている。
仕事の都合で観に行けそうにない映画祭の雰囲気を少しでも味わいたいとの思いが勢いあまって、
代表にメールを送りつけ『小阪本町一丁目映画祭 Vol.5』のスタッフとして拾ってもらう。
大成功に終わった映画祭。案の定、仕事のために自分の目で見届けることができずにハンカチを噛むが、
スタッフとして参加できたことに喜びを感じ『やらせてください!!』とM.I.F.メンバーとして拾ってもらう。
80年代、JAC(ジャパンアクションクラブ)映画を観た時に衝撃が走り、JACの門を叩いたが途中で挫折。 名古屋のアクションクラブに所属しデパートや遊園地のキャラクターショーでヒーローを演じたが、食っていけず。その後自動車整備士で車を触って楽しく仕事をしていたが違和感を感じる。
転職をきっかけに、『末野原ムービークラブ』結成、自主映画を作ったり、出演したり、劇団ドラマスタジオにも所属、舞台芝居に出たりしている。でも普段はサラリーマン・・・働かないと食っていけません。
高校は放送部、大学時代は中日本学生放送連盟に所属し、アナウンスを担当。
イベントMC・ラジオドラマ・DJ・ナレーション・朗読などを経験する。
さらに、AMラジオ局でADアルバイト、日本ナレーション演技研究所に入所、酒に呑まれる、など、完全に学業をおろそかにした学生時代を過ごす。
言い訳は、「人間(心理学)を理解するには、実際のコミュニケーションあるのみ。」←うざい。
結婚後、それまで経験のない映像に興味を持ち、地域の自主制作映画講座に参加。
そのメンバーと末野原ムービークラブを立ち上げつつ、講座の先生だった清水氏の団体=豊活(←現M.I.F.)の活動に参加。その後1年間の米国生活を経て、帰国後M.I.F.メンバーとなる。
2008年3月、円満退部
ごろごろ、していたら、いつのまにか、プー太郎になっていた。語る人生のないままに今に至る。これから、どうなるのだろう。楽しみだ。
知人の付き添いで交流会『小坂本町一丁目町内会』に参加したのがきっかけで堀さんに出会う。
その後は、2006年年末に堀さん宅の大掃除(堀さんは遊びに出かけ堀さんの妹さんと二人で)をし、堀さんとラジオラブィートの番組『こさほん映画学校夜間部』に出たり、堀さんと二人で映画を観に行ったりした。
2007年、年明けからは『小坂本町一丁目映画祭vol.5』ロビー班責任者の堀さんの下、こざほん神社の社の製作をし、堀さんと妹さんと三人で芝居を観に行ったり、堀さんと二人で映画を観に行ったり、堀さんと花見をしたりしている。
清水さんには「堀さんのお守り役の後継者」だと言われ、最近はこれではいけないと思い、NOと言える大人になるよう努力中です。
いずれは自分の作品を創りたい思ってます。
同じ職場の指導者、ホーリーに騙されて、なんとなく映画祭を手伝い、なんとなくM.I.F.のメンバーとなる。
映画にはなんとなく興味はなく、「映画って奥が深いんだろうなぁ」となんとなく思う。
普段はフィルムのカメラでスナップ写真を撮る程度のサラリーマン。
映画を撮っている人たちが面白そうと思って町内会に参加している。
でも、映画のことはほとんど何も知らない。それなのに「箱」でマイクを持って、ときにカメラよりも役者の近くに行けることに感動。
7年前愛知県豊田市へ上京。ふとかけたチャンネルに書かれた『小坂本町…』と言う文字、市駅でサッカーしている映像に釘付けになり、『こさほん』視聴者になる。
昨年7月に開かれた町内会におそるおそる参加。温かなメンバーに歓迎され、映画『箱』の撮影、映画祭企画会議へ押し掛けるように参加。
照明の手伝い等を体験し、マンネリ化していた生活に刺激が入り、仕事とは違った活動に楽しさを覚え、M.I.Fメンバーへの仲間入りを決意する。
以降現在に至る。
幼少の頃、世界のスーパースター ブルースリーに出会って以来、映画の世界にのめり込む。
縁あってM.I.F.の前身(豊田市役所映画倶楽部)より参加、スタッフ、キャストなど幅広く使ってもらう。
2006年、何を思ったのか無謀にも自力で映画製作を始める。『恋する武道』『西からやって来た恋』と立て続けに【恋シリーズ】を発表。次回作は【コンナン】を予定中、この作品は困難を極める。(たぶん)。
高校2年に映画初監督。大学在学中の20歳から8ミリフィルムにて本格的に映画製作を開始する。以後四半世紀にわたり映画制作を続ける。
現在、ビジュアルプロデュースTACTを経営。
2006年、豊田の写真スタジオの閉店を機にTACTを映像制作プロダクションに変更。企業向けVP、テレビCM、ブライダルプロモーションなどを制作している。
地元の市民放送局「NPOチャンネルDAICHI」の理事・役員。地元の映画製作集団「刈谷映画倶楽部」代表。県立知立高等学校の映像制作講師。
高校時代に放送演劇部に所属。朗読・アナウンス部門を中心に活動する。
自分の声を使って伝えることの楽しさと充実感を得て、学業そっちのけで、3年間部活に没頭した・・・・・。
それから年月が経ち、最近また、自分の声で伝えられることはないかと模索をしていたところ、『小阪本町一丁目映画祭 Vol.5』を知り、観客として鑑賞させてもらう。そして、その後の『町内会(現、交流会)』に参加し、メンバーの皆さんのやる気と熱気とお話に感化され、「カササギの惑星」でスタッフとして参加。
その後、M.I.F.のメンバーとして仲間入りを果たす。
昭和56年3月、豊田市で産声をあげる(助産婦さんの強烈往復ビンタによるものらしい)
小学生の頃より宿題そっちのけで、毎週テレビで放送される映画(アクション中心)にどっぷりハマる。
思春期を迎えた中学生の時、ビートルズに衝撃を覚える傍ら初めて「ニュー・シネマ・パラダイス」を見て号泣。
高校時代、一度映画を離れビートルズを夢みてギターを始めるが、たった一ヶ月でメタルバンド結成。
高校卒業後、自動車関係の仕事に就き社会の厳しさを味わう・・・が、そんな時「小坂本町一丁目テレビ」に出会い「小坂本町一丁目映画祭vol.4&5」と観客として見に行っていたが映画制作に対して興味が沸きだし、何とかM.I.F.メンバーとコンタクトをとる事に成功。M.I.F.制作第二弾の映画「カササギの惑星」のオーディションを受け、エキストラとして参加し2007年9月M.I.F.メンバーとして加入。
実は大のブルース・リー好きでもある。
平凡で取るに足りない出来事しかない生活のなか、先輩が映画製作に関わっているという話を聞く…。
その先輩のまとまらない映画の企画案を聞き、“じゃあ、オレがまとめてやる!”と無謀にも人生初(!)の企画書を作成、持参し小坂本町一丁目テレビのドラマ撮影に参加。
その企画書、それを小説風にしたもの(?)を代表や数人のメンバーに読んでもらう。
その後の交流会で入会を打診され、これを快諾。M.I.Fメンバーとなる。
それまで、特に映画に関する知識や関心が高いわけでもなく、映画製作に興味あるというわけでもなかったが、いつのまにか生活の中で面白い事があると“これ、映画にならないか?”と考える癖が…。
平凡で取るに足りない出来事しかない生活のなかにもドラマがあることに気づく…。
入院中、CATVテレビで見た『こさほん』の楽しそうな雰囲気と、その地元を題材にした映画・ドラマに釘付けになる。
しばらく、それとない日々を過ごしていた時、M.I.F.メンバー 加藤行延監督の映画「きらら」と運命的な出会いを果たす。
その直後、ワークショップ開催との話を聞きつけ、映画製作の舞台裏が気になり参加。転がるように映画祭スタッフ → ドラマ撮影現場に押し掛る事、数回。
M.I.F.メンバーに、とりあえず入れてもらう。
高校生の時、演劇と出会い…十数年、お芝居にゆったり漬かってきました。程よく味が染みてきた今日この頃…☆
08年5月、MIFメンバーとなることが出来ました☆〔嬉〕
とにかく、イッパイ頑張ります!
小坂本町一丁目テレビでは、鞍ケ池ラバーズに続き、現在放送中の渡刈の晩御飯で、長女@桃子を熱演中!!です。
中学のときに『ロード・オブ・ザ・リング』を観て圧倒され、映画に興味を持つ。いつかあのエンドロールに載ってみたいなーと漠然と思う。
高専では卓球をやっていたが、つまらなくなり、やめる原因を作るために、友達と当時廃部寸前だった演劇部に入る。
でもみんな舞台に出る勇気がなかったので、映画なら緊張しないだろうと映画を作り始める。これがうまく行き、演劇部部長としてコンスタントに映画を作り続ける。しかし、今年で引退なので、部の存続を心配している。
高校2の夏に寮の風呂で川合君に演劇部で映画を作る話をされ、流れで演劇部に入部。その後、MIFと関わりドラマ撮影などに参加。
高校時代、演劇部に所属し芝居の面白さを知る。
怪しげな映画を夜な夜な父が観ていることに気づいたのもこの頃。『公務員探偵ホーリー』である。
「キーキー言う役をやりたい!」と堀さんと職場が同じ父を通じて堀さんに志願。そして『公務員探偵ホーリー2』にエキストラ出演をする。
数年後テレビで『鴛鴨婦人』を見て「私もドラマやりたい!」とまた父を通じて堀さんに志願。『鞍ヶ池ラヴァーズ』の巴役に選ばる。
また、この頃から映画祭の手伝いをし始め今に至る。
現在とよた演劇アカデミー1期生として演劇も勉強中。